2013-04-16 第183回国会 衆議院 予算委員会 第23号
これについて、一九七七年、西ドイツのヘルムート・シュミット首相の決断があります。すなわち、SS20核弾頭ミサイルを突きつけられたときに、彼は、ロンドンで演説した。政治的、軍事的バランスの回復は死活的に重要である。したがって、彼は、SS20に対抗するパーシング2をアメリカから導入して、相互確証破壊の体制をつくった。モスクワが撃つならば、おまえ殺すぞという体制であります。
これについて、一九七七年、西ドイツのヘルムート・シュミット首相の決断があります。すなわち、SS20核弾頭ミサイルを突きつけられたときに、彼は、ロンドンで演説した。政治的、軍事的バランスの回復は死活的に重要である。したがって、彼は、SS20に対抗するパーシング2をアメリカから導入して、相互確証破壊の体制をつくった。モスクワが撃つならば、おまえ殺すぞという体制であります。
このときは、本当に有権者にわかる形で、当時のシュミット首相は国民に対しておわびをしたのでありますね。それで有権者は相当印象を変えたということがあります。 そういうこともありますので、当時、埋蔵金がこれだけあると思っていたけれども、実際はそれぐらいなかったとかいうようなことがあるんでしたら、そこは認めていただいて、その後の議論につなげていただきたいなと思います。
それは、ドイツのシュミット首相等が開催をされたOBサミットでございます。そして、その平和と命のための発言をされたのが福田赳夫元総理でございました。福田赳夫元総理は、人の命は地球よりも重いという発言をされたわけでございますが、命を大切にするような平和活動、そして自衛隊の支援活動が必要ではないか、その観点からもお答えをいただきたいと思います。(拍手) 〔内閣総理大臣福田康夫君登壇、拍手〕
○西村委員 一九七〇年代、SS20を配備されたときのNATOの決断、中心の西ドイツのシュミット首相の決断、アメリカからパーシング2を導入する、こういうバランスの問題を、我々もう一度、そのときに他人事と思っておりましたけれども、今自分のことになっておりますから、勉強し直したいですな。よろしくお願いします。 それから、これは時間が終わりつつあるので最後になると思います。
このときの米欧の争いというのを今から見ると隔世の感があるというような感じがしまして、皆さん御承知のように、八〇年代に欧州でINF交渉が行われたときに、アメリカ側はこういうパイプラインをソ連との間で結ぶと、それが切られちゃうと安全保障が駄目になるよという議論があったのに対して、いやいや、むしろパイプはつながっている方がいいというようなことで、西ドイツではシュミット首相でしたけれども、そういう議論がありました
西ドイツのシュミット首相は、本でも、また雑誌「世界」のインタビュー等々で、日本はアジアにもヨーロッパにも真の友人を持たない国だ、こういうことを何回も述べております。 私は、こういう点は大変不名誉な問題であって、やはり二十一世紀の早い時期に過去をきちっと清算した国だと言われるようにしたいと思いますが、外務大臣、まずこの点での意見をお伺いします。
○宮澤国務大臣 いわゆる先進国サミットが始まりましたときでございますから、今から二十何年前でございますが、当時のドイツのシュミット首相が、石油危機後の不況でございますが、どうするんだと言うので、私は、日本は公共事業をやると申しました。
それで、ドイツのシュミット首相と私は話をしていて、不況でどうすると言うから、日本は公共事業をやっていくと言いましたら、シュミットが、それはおまえの国は非常に幸せだ、自分の国は公共事業で使い道がないという話をされました。
○赤松(正)委員 かつてドイツのシュミット首相が、日本はアジアにもヨーロッパにも真実の友達がいないということを指摘されました。
私、ここにシュミット西ドイツ元首相の回想録を持っていますが、シュミット首相はこの中で、日本は経済的には小人だけれども政治的には小人だと言っているんですよ。なぜかというと、ドイツと日本は同じ侵略戦争をやって、戦後国民的運命に大きな相違が生まれたと。日本はかつての侵略戦争について反省のしるしも見せない。そのために近隣諸国との間の友好に大きな困難が生まれたと、こういう非常に厳しい非難をしておる。
前のシュミット首相が私たちに、堀さん、我々には信頼される友人の国があるけれども、日本は本当に信頼される友人の国がありますか、こう聞かれたことがあります。
なぜこれを申し上げるかといいますと、当時西ドイツのシュミット首相の残した言葉で、みずからの資源はみずからが使うべきである、みずからの資源を粗末にする民族は必ず国が滅びると、こういうシュミット首相の名言がございます。 私は今これを日本も大事にしていく必要があると思いますのは、一九八八年、IEA会議で石炭の埋蔵量というのは世界でどういう趨勢になるかということを検討した課題がございます。
西ドイツの石炭政策、エネルギーの基本の柱は、かつてシュミット首相が提言をした、みずからの資源はみずからの国が使うべきである、それをしない国はやがて滅びる、こういう名言を残したのが時のシュミット首相でございまして、それで今日コールペニヒ方式、御案内だと思いますけれども、採用されています。
やっぱり国の政策として、当時のシュミット首相時代以来、みずからの資源はみずからが使うというドイツのエネルギー大方針で今日来ているんだから、そんな理屈は当てはまらぬですよ、私に言わせたら。 そのことを聞いているんじゃないんだ。
しかし、基本は何かといったら、時のシュミット首相が打ち立てましたように、みずからの資源はみずからが開発をする、この考え方が踏襲をされて、西ドイツの今日的体制がとられているわけであります。
それに対しましてドイツのシュミット首相が、ロンドンにおきます演説で初めてこの問題に言及いたしまして、ソ連のSS20を撤廃させることが重要であるということを主張し、これがNATOで取り上げられ、一九七九年にいわゆる二重決議というものができました。二重決議は、一方ではソ連に対してSS20の撤回ということを交渉する、ただしその交渉が成功しなかった場合はこれに対して対抗配備をするという決定でございます。
われわれは、シュミット首相夫人にアプローチした。夫人はランの花の愛好者だったので、われわれはまず、世界のランの専門家と接触し、この人たちからシュミット夫人に、クジラ保護への協力を要請する手紙を書いてもらった。もちろん、手紙と一緒にランも送った。われわれの活動に協力を求める時に、国のトップとともに、その夫人やお嬢さんにも接触するのが、われわれの戦略である。
アメリカが五百億ドル軍事費を削減しなければ今の世界の経済不均衡は直らぬとシュミット首相でさえ言うんだから。あなた方は一言も言えない、向こうにはどんどん言わす、こういうやり方はとんでもない。 それから次の問題で、アメリカに対する市場開放、今度また約束してこられたようですね。ところが、日米の市場開放問題とか相互の製品浸透問題を考える際には、やはり多国籍企業問題を勘定に入れないと正確にならぬわけです。
経緯的に申し上げますと、既に一九七四年に当時のベルリン市長がそれを要請いたしまして、以後シュミット首相が福田当時の総理、大平総理、また鈴木総理、歴代総理に対してその要請をしてまいった次第でございます。
○小委員外委員(柳澤錬造君) いや、私がそういうことを聞いたのも、東京サミットのときに西ドイツのシュミット首相が日本の総理に、いよいよソ連は極東にSS20の配備をいたしましたよといって耳打ちをしてくれた。ところが、時の日本の総理は、SS20と言われてもそれが何だかさっぱりわからなかった。それで防衛庁のあれに確かめたら、時間的に言うとその前日に総理に話してあるとは言っているのですがね。